産業考古学会推薦文

産業考古学会推薦産業遺産

カザレー式アンモニア製造装置一式

〔所在地〕宮崎県延岡市旭化成工業株式会社延岡支社薬品工場内

〔推薦理由〕
 近代化学工業を飛躍させる基となったといわれるアンモニア合成技術は明治36年頃より研究が始められ、空気中の窒素と水の成分である水素とを混合し、高温高圧下で触媒を用いてアンモニアを合成する方法で、大正2年には工業的大量生産に成功した。
 第一次世界大戦をきっかけにアンモニア合成工業は益々世界の関心を集め、各国で研究が始められ相次いで各種の方法が開発された。
 日本でも例外なく、アンモニア合成についてその重要性を認め、日本窒素肥料株式会社(現チッソ)の野口遵氏はすでに将来の窒素固定工業はアンモニア合成法によらざるをえないと予測し大なる関心をもっていた。
 大正10年渡欧しカザレー式アンモニア合成法の特許実施権およびこれに関する一切の機械類購入の契約を結んだ。
 欧州より帰国した野口遵氏は延岡に工場建設を決め大正11年工場建設に着手した。カザレー氏も来日し大変な苦労もあったが大正12年10月5日アンモニア合成工場のスタートを迎えた。
 この日、合成塔、混合ガス圧縮機等が運転を開始、その日の夕刻にアンモニアが生成された。このアンモニアが今日のアンモニア化学工業をベースとしたいわゆる総合化学工業の基礎となったのは日本化学業界の衆知の事実である。
 旭化成工業株式会社はこのアンモニア製造装置を文化財として、合成塔高圧圧縮機を創業60周年の記念として保有することとして展示がなされ併せて資料室も設けられた。
 本平成5年はアンモニア製造装置が完成してアンモニアが合成され丁度70年となる。この機会に当学会はこれらの装置が国民的文化財としての価値を持ち、良く保有に値するものと認め、推薦産業遺産と認定するものである。

 1993年9月25日

産業考古学会
 

あ と が き

 今年は延岡市制60周年、更に旭化成創業70周年の記念すべき年であります。
 野口遵翁が大正12年に、日本で初めて工業化したカザレー法アンモニア合成も、ファウザ一法の日窒式水電解も、村山式硝酸製造も総べてここ延岡市が創業発祥の地であります。私にとっても若き日の思い出の創業生産でありました。
 延岡に日窒肥料会社が出来た大正12年(1922)頃は延岡三町村(恒富村、岡富村、延岡町)の人口は23,000人でありましたが、其の後、旭化成が主力となって発展し、今日では人口13万人の工業都市の街となりました。これには明治、大正時代より内藤政挙公と野口遵翁による人材育成の教育と文明開化の事業発展に負うところ大であります。
 昨年(平成4年)私は「延岡の父内藤政挙公」の功績を出版しました。今年は平成2年より3年に至る夕刊デイリー新聞に連載記事をまとめ「延岡の母野口遵翁」の遺産ともいうべき旭化成の薬品工場、ベンベルグ工場、火薬工場、レーヨン工場、雷管工場等の延岡工業史を出版の予定でありましたが、今回の旭化成創業70周年には間に合いませんでした。そこで昭和62年に日刊誌化学工業に連載した、カザレー法アンモニア合成による延岡肥料工場の創業秘史を編集出版いたしました。
 創業当時の化学王・野口遵翁の偉大なる開拓精神にあやかり、題名も『創魂』といたしました。
 この野口翁の大事業は座談会の回顧録の如く、延岡に誘致推進した当時の町村長並に議会議員は殆ど内藤政挙公の亮天社に教育を受けた人達であった。
 世に古今東西『事業発展は総べて人なり』の諺の如く、延岡産業都市の礎を定めた方々は今日の姿を夢見た先覚者であったというべきでしょう。
 又、本年9月延岡工場創業のカザレー広場の装置は産業考古学会より化学工業の文化財遺産として選定されました。これは、世界の産業遺産として唯一のものであり、旭化成や延岡市にとっても近代文化の宝物となった次第です。
 今ここに旭化成延岡薬品工場の創業70周年を記念し、出版いたしました。この『創魂』をご愛読いただき、過去の産業発展の史実を確かめて、水と録と活力化を叫ぶ方々の一層の都市発展の道を開拓すべきことを願うものであります。

      平成5年10月5日

著者 市 山  幸 作


創魂の遺産は崇し菊の節

一幸
目次へ