4.アンモニア合成の技術の改良と重なる事件
創業後の技術的改良と運転停止,並びに新式の水島工場への移行や重大なる事件を記録する.
カザレー式合成塔の特長は次の諸点があった.
(1)中心部に一番高い電熱器があり,円筒管の組み立てにより外側に向かって伝熟され外筒が熱交換器で温度が低くなるように考慮されている.
(2)分解組立が簡単なこと.
(3)触媒の取替えおよび電熱器の取替えが短時間で出来ること.
(4)アンモニアのトン当りの資材が僅少なこと.
実物の組立分解写真(写真16)を参考に掲げておく.
延岡工場のアンモニア合成の成功により,直ちに大正14年7月,水俣工場が建設された.大正15年12月に水俣でもアンモニアが製造され,また昭和2年5月に朝鮮窒素肥料会社が設立された.
この時の合成塔の能力は,1塔当り20トンであった.
4.1 インゼクター操作でアンモニアの合成
延岡のカザレー法合成塔は,A,B2台の循環機が付設され,グランドパッキング取替えが交代勤務者の苦労の種であった.
それで昭和3年カザレー社から同社考案のインゼクターの採用を勧誘され,合成塔のスタートは循環機で実施し,順調になったらインゼクター操作に切替える両方並用のガス循環装置に改造した.
こうしたとき私は合成係勤務を命ぜられた.創業当時は原料ガスの関係でアンモニア工場に出入
|
していたが,製造は初めてで勉強することになった.
昭和6年ごろになると循環機のガス漏れが甚だしく,安全運転や作業環境の上からも勤務にさしつかえる状態で,早急な対策が必要となった.会社はベンベルグ絹糸の創業,火薬工場の建設で硝酸の増産が必要で,アンモニアの生産向上は大切な時であった.堀内金城部長からインゼクターの研究を命ぜられ担当することになった.
インゼクター操作とは,従来アンモニア製造の混合ガスを合成塔に送るのに循環機の動力によりバイパス弁の開閉で運転操作したものである.これを合成塔系のアンモニア液化による圧力減を利用し,圧縮機から導入するガス圧力に30〜50気圧の差庄をつけ,未反応のガス系路に噴射して合成塔系装置内にガスを循環し,アンモニアを合成するものである.循環機によるアンモニア製造工程図は図1の通り
従来の研究失敗の原因は,調子が悪ければいつも頭の中に循環機があるからと,中止したことであった.それで,インゼクター切替えの合成塔系の大型弁や不要の導管を撤去し,ガス経路を直列式にした.次に排気ガスを僅少にして,触媒還元のスタート法を考案した.三番目にインゼクターの一部改良と,原料ガス導入の調整弁を特設した.
さらにインゼクター操作の従業員の教育であった.計器の発達していない時代でもあり,温度と圧力の化学平衡の問題,循環ガスの空間速度の問題,合成塔のスタート,触媒の還元方法,などの
|
問題を解消するために昇圧製造運転とインゼクターの操作弁のあつかいができる熟練工の養成が大切なことであった.深夜まで現場に出かけて研究する苦労もしたが,昭和8年7月に遂に総ての循環機を撤廃し,インゼクターだけでアンモニア合成が出来た時は感激だった.
このため人員の削減,消耗品の半減となり,アンモニア能力向上の好結果となった.
インゼクターは17×21×32センチの型体内に特殊な加工をし,ニードル弁とノズル弁の操作により,合成塔のガス導管(35×75ミリ)に接続される小型のもの.故障も補修もほとんど無く循環機の代行が出来る,安全操作の能率よきものだった.
4.2 計容器室並びに混合ガスタンクの廃止
水電解法の水素ガスを使用する工場は,水素,窒素の原料ガスをプロワーなどにより混合タンクに送入し,これから合成工場の高圧圧縮機に吸入されていた.
延岡ではこのブロワーの羽根板の取替えや補修で電解電力を制限,アンモニアの生産に影響があり考究の結果,水素の甲,乙両タンクの庄を均等化,両ガスの混合箱から圧縮機までの導管を大きくして圧縮機の一段吸入庄を水柱の+を保持するよう改造した.
これにより水素タンク並びに窒素タンクから直接原料ガスを圧縮磯に導入し,従来の計容器室関係と混合ガスタンクを廃止した.
4.3 排気中のガスよリアンモニア水の回収
アンモニア合成の高圧下の液安は,分離により40気圧以下の低圧受器に抜き取り,液安を貯蔵するものであった.この時の排気ガス圧を特珠な自動圧力調整弁を考案して12気圧に保ち,水洗塔に導きアンモニア水として回収,完全に排気ガス中のアンモニアを処理した.
液安分離の取り出しは,インゼクター操作ではガス圧力に影響するので,連続輸送方式に切替えた.インゼクター操作におけるアンモニア製造工程図は図2の通り.
|
4.4 触媒の活性化の研究
『アンモニア合成の鍵は,主触媒(Fe304)製造にあり』と言われ,これに促進剤としてアルミニウム(A1203)と加里(K20)を添加した.アンモニアの出来が悪いと,合成係では『触媒が悪い』と言う.触媒をつくる方では『合成塔の運転操作が悪い』と言って,いつも水かけ論であった.それで触媒の製造には活性化のよい寿命の永いものを製造するよう研究された.
このため,技術会議でも研究され,カザレー社からも指導をうけた.終戦後,延岡では伊藤和夫合成課長が触媒の問題を重視し,原料鉄や酸化度の問題,促進剤の適量や均密度に注意,特に水電解法採用のカザレ一法では,ガス中の0.5%前後の酸素並びに水分・油分等の毒素の除去,それに還元方式も研究して活性化の良い触媒をつくり,アンモニア合成塔の能力を倍加させた.
さらに昭和35年から中野仁部長によるアメリカのテキサコ法採用の原料ガスのオイルガス化工場も完成し,触媒能力はさらに高まり,戦前は日産1塔当たり6〜7トンであったものが13トンも出来るようになった.
それでアンモニア合成塔の触媒温度は,450〜500℃,ガス圧力は400気圧前後で運転出来たことは創業以来老化した装置の寿命延長にもつながることで良い研究であった.
4.5 岡山県水島・旭化成アンモニア工場
旭化成は自社アンモニア消費量の増加により,水島石油コンビナートに日産800トンの新式アンモニア工場を建設した.昭和46年12月から製造を開始し,立派な成績で10年以上も装置の分解も触媒の取替えもなく,カザレー式の創業当時と比較して隔世の感である.水島アンモニアプラントの特徴は次の三点である.
(1)原料としてエチレン,ベンゼンプラントのオフガスを使う.
(2)方法はアメリカのブローン方式と,アンモニア合成塔はデンマークのトプソ方式を採用した.
(3)ガスタービンを併設して省エネルギーを達成した.
以上の詳細は割愛し工程図を(図3)に付す.
|
延岡で瀬戸山郁夫アンモニア課長は,昭和44年から要員の教育訓練を開始して全員を水島に転勤させ,新方式のアンモニア工場を完成させたのである.
延岡のカザレー式で培われた技術と人材は旭化成石油化学の基礎を作る役目を果した.
大正12年に開始したアンモニア創業の精神は,今も脈々と生き旭化成発展の原動力となっている.
4.6 アンモニア合成の特許事件
創業して第3期の増設のとき,アンモニア合成の特許権をめぐって大正14年6月11日に起こった事件があった.
延岡のカザレー法アンモニア合成がクロード法合成の彦島の特許権を侵害しているとのことで,『証拠保全』のためと称し突如,延岡工場に部外者が闖入して来た事件である.
私は当日,水電解の勤務中で,午後6時ごろ何者か写真機をかついで硫安倉庫の鉄道線路を越え,アンモニア工場に数人が無断で入り写真を撮りはじめた.
合成の山本季雄係員は驚き,直ちに幹部に通報.谷口工場長,白石次長,北村係長,永里事務課長が現場にかけつけて,侵入者を合成工場の南側通路のところに出てもらって南北に対面し,激論している状況を見た.
谷口工場長はクロード側の花岡弁護士にむきあって,『当方にもカザレー式アンモニア製造の特許権があるから』と毅然たるものであった.
この日のことは,合成係長の日記に裁判所のこと,彦島の方々のこと,延岡のことが詳細に残されているが書くことは遠慮する.
撮影した写真は高圧圧縮機関係であり,彦島は延岡より圧力はさらに高く,1,000気圧で圧縮機に問題があったのではないかと思われる.
当時日本では,こうした高圧圧縮機も高圧鋼管も計器も総て輸入品で,運転には困難を極めた時代であった.
昭和3年5月に起きたクロード側の延岡工場のアンモニア製造中止,損害賠償の請求の本訴提起は,彦島の会社側に問題や事情があったように思う.
この事件で迷惑したのは延岡工場で,谷口工場長名で会社内外に『今回の産業スパイ事件には確たる勝算がある故,各自安心して作業増進と工場秘密厳守をしてほしい』の訓示や文書の通達があり,工場出入者の監視は厳しくなった.
4.7 延岡空襲とアンモニア工場
太平洋戦争は戦時物資の生産増強で,とくにアンモニアは濃硝酸の関係もあり生産命令は厳しかった.
昭和20年1月には,アンモニア合成設備2セットを大分県耶馬渓の地下に移転して手榴弾の製造に当れ・‥との命令をうけた.
圧縮機と合成塔を分解し,移動のため海軍協力隊の加勢20人の派遣をうけていたが,20年8月5日,宿舎の空襲で18人の犠牲者を出したことは悲しい出来事であった.
|
戦後多くの空襲殉難者には慰霊碑を建て,供養を行うようにした.アンモニア合成工場も学徒や女子挺身隊の方々の運転となったが,6月29日の大空襲で火の海と化し,生産設備に大きな損害をうけたことは忘れられない.
終戦後は硫安復興で食糧増産が叫けばれ,高圧圧縮機の1,1OO馬力2台を長崎造船所で製作.吉持俊太郎技師のお世話になった思い出もある.
5. カザレ一式アンモニア合成の工場閉鎖と記念事業
カザレー式アンモニア合成装置一切が永年の使命を果たし,閉塔式には創業当時の北村,片桐の両氏や関係者が参列,昭和46年12月16日,アンモニア合成48年間の栄光ある運転を停止,水島の新方式のアンモニア合成に引き継ぐことになり,思い出多い装置一切は解体撤去された.
この時,中沢延岡支社長に懇請し,圧縮機,合成塔一式を残すことにしてもらった.これを薬品工場創業記念日の10月5日を朴し,50周年記念に当時の石田工場長が薬品工場正門のところに合成塔を建立,60周年創業事業として寺崎支社長,笹栗工場長が圧縮機関係を設置された.
イタリアでもカザレー博士の1/4トン試験装置は,『国の宝』として保存されているとのことである.旭化成延岡でも大切な創業を語る記念装置となっている.
以上をもって・カザレー法アンモニア合成で活躍された方々を偲び,こうした古い物語を発表出来る機会を与えて頂いた関係各位に感謝して,創業の風光を終りとする.
|
化学工業、編集所感
月刊化学工業7月号より我が国の近代化学工業の草創期の秘話を掲載することになった、第1回の市山氏のカザレー法アンモニア合成は、氏の巧まぎる筆致と相侯って往時を鮮かに措き切っている。化学工業の原点を知るうえでも貴重なものとしたい。8月、9月、10月号の四回の連載が完了した時本号で市山氏のカザレー法アンモニアの創業の風光が終ったが、近代化学工業の草創期における先達の努力と大変な苦労が目に見えるようであった。全ての面で行届いている今日の化学業界を見るとき隔世の感を禁じえない。
|
|