出版によせて
宗 像 英 二
元 旭化成延岡工場長
元 野口研究所理事長
元 原子力研究所理事長
市山さんが東北大学の岡部先生の企てに応じて、延岡でカザレ一法アンモニア合成が生れた時の経緯を書かれるようになった時、私は大賛成をしました。野口さんが日本で初めての高圧技術を開拓された有様は、技術の道を歩く後進の者に大きな教えを示すものとして貴いものであります。然しその実情を知る者の語り残したものが少く、それをよく見て知っている市山さんが記述されたので、大変に貴重なものであります。
既にカザレー法アンモニア合成は過去のものとなっていると云われるかも知れませんが、科学技術の道は進歩に次ぐ進歩が当然で、半世紀以上も前の技術が共の侭ある筈はないのですが、然し技術開発に臨む心構えとか敢行精神には相通ずるものがあって、その相通ずる精神を後進の者が学んでこそ次の立派な成果をあげ得ると信じます。その点
で市山さんの記述には、読む人に暗示するものが随所にあるのでありまして、実に尊いものであると思います。
昭和6年春、延岡の恒安寮に入った私は、当時寮生活が長く而も世話焼きをしておられた市山さんに世話になり、其の後数年間を親しく御一緒しました。城山の桜の下で賑やかに騒いで町を練り歩いたり、ゴム製のボートで北方の簗から五ヶ滴川を二人で漕いで下ったり、行縢の山に握り飯を持って行ったり、市山さんと云うより「市チヤン」と呼んで思い出の尽きぬおつきあいをしました。その市チヤンがインゼクターの操作の工夫をして、恒安寮で思案熟考をしていた頃、私もベンベルグのアンモニア回収に関する工夫を重ねていた頃で、食堂の食卓でお互に向い合って、ああでもない、こうでもない、と思案中の創意工夫の話をしたものです。今でも市チヤンの熱烈な向学心の現れの姿が有々と思い出されます。
市山さんの記述の中に、カザレー法実施の初期の色々な出来事が述べられて居り、初めて道を拓いて歩く者の苦心の程が有々とわかります。その中にあって野口さんが流石に早く見透されて、先手を打って進まれた様は尊い教えですし、関係された諸先輩が頑張り抜いた事も後進の模範となると思います。
市山さんの記述は、それ等を含めて、大変に良い出版でありますので、是非多くの人々が読んで参考とし、各々の今後将来の発展に役立てて下さい。
昭和62年11月3日(化学工業・カザレー法アンモニア合成創業の風光と建設より転載)